〜平均と言う雑過ぎる指標
―指標の危うさを考える―
平均ほど、安心感を与える数字はない。
そして同時に、平均ほど雑な数字もない。
平均年収、平均気温、平均寿命、平均的な社員。
私たちは何かを判断するとき、とりあえず「平均」を置く。
それは思考の出発点であるはずなのに、いつの間にか思考の終点になっている。
平均は、分布を語らない。
上と下、偏り、歪み、外れ値。
本来そこにこそ意味があるものを、平均は一つの数字に押し潰してしまう。
にもかかわらず、平均は「客観的」「合理的」「公平」に見える。
だから便利だ。便利すぎるがゆえに、危険でもある。
平均で見れば問題ない。
平均的には順調だ。
業界平均と比べれば健全だ。
こうした言葉は、説明のようでいて、実は思考停止の宣言に近い。
現実の意思決定は、常に「どこが壊れやすいか」「どこが極端か」を見なければならない。
しかし平均は、極端なものを最初から「ノイズ」として扱う。
平均とは、世界を理解するための道具ではなく、世界を単純化しすぎるための道具になりやすい。
平均で語られる社会は、平均から外れた瞬間に脆くなる。
平均で設計された組織は、想定外に出会ったとき、何も判断できなくなる。
平均は、嘘をついているわけではない。
ただ、あまりに多くのことを黙っている。
その沈黙に安心したとき、私たちはもう考えることをやめているのかもしれない。