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責任感の暴走

人はよく、英雄が暴走するのは「権力欲」や「我欲」のせいだと言う。
しかし、構造論で思考してみると、また違う景色が見えてくる。
英雄が道を踏み外すとき、その胸の奥にあるのは自己中心的な我欲ではなく、
強すぎる責任感なのだ。

わかりやすく経営者の話にしてみよう。
彼は偶然にも助けられて創業からずっと、社員の生活を守り、取引先にも誠実であろうとし、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰った。
彼は世に言う“できる人”だった。
だから周囲は自然と彼を信頼し全てを任せるようになった。

「社長なら大丈夫です」
「社長の判断に従います」
「社長が決めてください」

最初は誇らしかった。
しかし、任される量が増えるほど、
彼の肩に積もる責任は雪のように重くなっていった。

ある年、会社は大きな危機に直面した。
資金繰りが苦しく、取引先への支払いが遅れそうだった。
社員の給料も危うい。
銀行は冷たく、取引先は容赦ない。

そのとき、彼はこう思った。

「ここさえ乗り切れば、きっと立て直せる」
「自分が踏ん張れば、誰も傷つかない」
「これは“守るための嘘”だ」

最初の粉飾は、小さな数字の調整だった。
誰も気づかない。
誰も困らない。
これで会社は救われる。

しかし、幸運は彼を既に見放していた。
次の月も状況は悪化し、彼はまた数字を動かした。
前の嘘を隠すために、さらに嘘を重ねた。

いつの間にか、彼の頭の中には
「会社を守るために自分が嘘をつくのは仕方ない」
という論理が根を張っていた。

これは我欲ではない。
むしろ、「自分が止まったら皆が困る」という強迫的な責任感だった。

しかし、責任感は時に視野を奪う。
彼はもう、自分がどれほど追い詰められているか見えなくなっていた。
周囲は彼を英雄として扱い続け、誰も彼の孤独に気づかなかった。

そしてある日、粉飾は限界を迎えた。

会社は崩れ、彼は全ての責任を背負った。
社員は職を失い、取引先は怒り、世間は彼を「悪人」と呼んだ。

しかし、彼を本当に知る者はこう言った。

「あの人は、ただ皆を守りたかっただけなんだ」

英雄の暴走とは、
権力に酔った者の断末魔の物語ではない。
責任感が限界を超え、孤独の中で判断が歪んでいく人間の悲劇の物語だ。

そしてその構造は、
どの時代でも、どの社会でも、どの組織でも現実に起こりうる。

英雄を責めるのは簡単だ。
しかし本当に問うべきは、なぜ彼一人に全てを背負わせてしまったのか
という集団心理の構造なのだと思う。

だからといって暴走は許されない。
しかし、この構造を歴史上の人物に当てはめてみるのは有意義な思考実験なのかもしれない。
なぜ彼一人に全てを任せてしまったのか…

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