ふと、時計の針を見つめていて思った。
私たちは「時間が流れている」なんて言うけれど、本当は逆なんじゃないか。
世界にまず「時間」という透明な川が流れていて、その中を私たちが流されている……。
そんなイメージが一般的だけど、どうも違和感がある。
実体があるのは「変化」の方なんじゃないか。
コップの水が温まる。窓の外の影が伸びる。誰かの表情がふと和らぐ。
そういった「事象の変化」がまず先にあって、私たちはその変化の前後を区別するために、後から「時間」という名のインデックス(索引)をペタペタと貼っているだけ。
そう考えると、もしこの世界のあらゆる変化がピタリと止まってしまったら、時間はその瞬間に意味を失う。
「さっき」と「いま」を比べる対象がなくなれば、ラベルを貼る場所がなくなるからだ。
時間が止まるから変化が止まるんじゃない。変化が止まるから、時間の存在価値が消えてしまうのだ。
私たちは、時計という精巧な機械が刻むリズムに支配されているように見えて、実は「変化し続ける世界」そのものを、時間という言葉で必死にラベリングして整理しているに過ぎないのかもしれない。
そう思うと、何だか心が軽くなる。
未来への不安や過去への執着も、単なるインデックスの羅列に過ぎない。
大事なのは、いまこの瞬間に、世界がどう動いているか、その「中身」の方なのだ。
今夜は、時計を止めて眠ってみようか。
まあ、心臓が動いている限り、私の「変化」というインデックス更新は止まらないのだけれど。